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森山直太朗15周年記念ベストアルバム「大傑作選」花盤&土盤&DVD感想まとめ。

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感想総まとめ

2016年9月21日に発売された、森山直太朗の15周年記念ベストアルバム「大傑作選」。初回版はCD2枚組&DVDつきという大ボリュームのため、感想をまとめてみたらこのブログも8000字を越える大ボリュームになってしまいました…。

そのため投下がだいぶ遅くなって旬を逃した感は否めませんが、この作品もなかなかロングヒットを記録しているようですよ。

では、ここからは愛着をこめて「直太朗」と呼び捨てしつつ、感想いきたいと思います。

森山直太朗「大傑作選」花盤

自ら『大傑作選』て言っちゃうところがいいです。しかも以前『傑作選』も出している。

ブックレットはCD2枚分の歌詞に加え、直太朗&御徒町さんの全曲解説&著名人からの寄稿・インタビューと盛りだくさんの内容。分厚い。

詩だけ書く人と、曲をつけて歌う人の稀有な組み合わせ

デビュー当時からずっと作詞作曲を共同制作(曲によっては歌詞だけ、曲だけのパターンもあり)してきたこの2人、中学からの同級生なんだそうな。それで15周年、今40歳…と。

バンドメンバーとかお笑い芸人とか、同級生同士で組んで好きなことやってそのまま仕事になって今に至る、てパターンは珍しくないかもしれないけど、直太朗と御徒町さんに関しては不思議でならない。

多分…御徒町さんが演奏をするわけではなく、ベースが「詩人」だからかな。演奏をしない人がずっと音楽活動に関わるってパターンは少ない気がする。

自分に置き換えて考えてみても、ずーっと自分以外の人が書いた詩を歌っていくっていうのは、なかなか難しい気がするのだ。まあ2人ともの名前がクレジットされているから、多少のすり合わせは発生しているんだろうけど…それだけ、相手の書く詩の世界・相手の作る曲の世界を信頼しているからできるんだろうか。

休業の理由は話に出てこなかったしわからないけど、お互いにいろいろあっても今なお一緒に活動しているってことは少なくとも、この2人にとっては「アーティスト森山直太朗=森山直太朗+御徒町凧」が自然な姿なのだろう。

ところで、直太朗はまったく40歳には見えない。童顔だし肌がツヤツヤすぎる。御徒町さんはものすごく年相応なのにおかしいぞ。永遠に老けない魔法にかかってる?スピッツの草野さんばりに?(むしろ御徒町さんが草野さんに似ている)

歌詞の解釈

解説の中で御徒町さんが「この歌詞に共感できないんだよなー」とか「この歌詞の意味わからないんだよなー」とか言っている。自分が書いた歌詞のことを。

しかも直太朗も聞いている。「この歌詞ってどういう意味なの?」と『生きてることが辛いなら』で聞いているし、『どこもかしこも駐車場』では「なんで駐車場なの?」と聞いている。(理由は、お客さんに「そんなに駐車場ないです」と言われたから)

この淡々とした感じがたまらなく面白い。まるで「そうなるべくしてそうなっただけ」だとでも言うように。それともそれがアーティストってやつなのかな。

さだまさしの存在が濃い

最初に流し聴きしたとき2、3度「ん?さだまさしかな?」という曲があった。

わかっていたはずなんだけど、実際こうして聞いてみると直太朗はものすごく「フォーク」であり、ゆったりとした曲調といい歌詞の詰め込み方といい世界観といいどうにも、聴いていると時折さだまさしの顔が浮かぶのである。

2人の実際の関係性はわからないが、『生きてることが辛いなら』が出た当初かなり批判にさらされたときの出来事を、直太朗は解説で、さだまさしは寄稿文でそれぞれ同じ内容で書いていたのが微笑ましかった。

直太朗は実家に玉置浩二が出入りするような環境で育ったそうなのでw 玉置さんもさだまさしさんもある種の憧れの存在なのは間違いないだろう。

声という武器の強さ

プロからアマまで生歌をたくさん聴いてきたけれど、「声」そのものが持つ力に圧倒されたことは数えるほどしかない。直太朗の生歌を聴いたときは鳥肌ものだった。え、あれ?CD?とすら思った。

『さくら(独唱)』という歌で有名になったのだから、その声については誰しもが知るところではあろうが、なにせCDやテレビ越しに聴くのとはワケが違う。プロでも生歌が下手なミュージシャンはゴマンといるのだから。

この声を持って生まれたというだけでも、稀有な存在と言わざるを得ないだろう。その上、高校時代はサッカーに打ち込み、大学生になってからギターを始めたって…ズルいよ。笑

1、夏の終わり

『さくら(独唱)』で有名になった直太朗が、その存在を世間に刻みつけた1曲。当時働いていたコンビニの有線で、夏じゅう聴いていたのが思い出される。

コンビニといえば、御徒町さんもコンビニでアルバイトしてた時期があるらしく…『コンビニの趙さん』ともリンクする部分だ。

これは戦争の歌なのだと、解説を読んで納得した。なるほど直太朗には、郷愁感と古めかしい言葉づかいがよく似合う。

2、生きてることが辛いなら

物議を醸した1曲。それがきっかけで聴いて「あら、いいじゃない」となったわたしのような人も、多いんじゃないかと思ってるんだけど。

ほかの作品はほぼ直太朗と御徒町さんの共作なんだけど、この曲だけは御徒町さんの名前だけがクレジットされている。もともとCMソングとして依頼され、相手が納得するまで何度も書き直したそう。

変わった構成で、言うなればAメロ+サビがひとかたまりになっていて、それを4回繰り返す。その合間にちょっと変則的なメロディーが入るので、いわばDメロ扱いになるだろうか。

だから、1曲通してほとんどずっと同じメロディーなわけだ。次の『どこもかしこも駐車場』もそうで、同じ構成を3回繰り返しているだけ。難しい構成もメロディーもアレンジも何ひとつなく、とことんシンプルなのに、いや、シンプルだからこそ、この世界観が匂い立つように思われる。

特に最後の歌詞が好きだ。

“生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ”

3、どこもかしこも駐車場

初めて聴いたのは、弘前ヒロロでの無料ライブのとき。そのときは思わず笑っちゃった、「どんだけ駐車場なんだよ」と。

けっきょくその後いちばんクセになったのが、まさかのこの曲だった。そして解説を読むに、本人が一番「こういう曲もあるんだって知ってほしい、こういう曲こそがもっと知られて欲しい」と思っている曲らしい。駐車場というのはひとつのたとえで、べつにモチーフは何でも良かった、とは御徒町さん談。

スチャダラパーの3人がレコーディング中に「あの新曲ヤバくない?」「普通は4回のところを5回繰り返すのが新しい」と盛り上がったとか。確かに、サビで5回繰り返すのは新しい…かもしれない。

意味を考えて聴くよりも、感覚に訴えかける歌。サビで「ああ」とひたすらに繰り返す『嗚呼』しかり。曲をどうとらえるかは受け取った人次第なのだと、体現した曲のひとつだ。

4、花

中孝介さんに提供した曲のセルフカバーという位置づけになるのか。わたしも自分のバンドでカバーさせていただいた。

ちょっと言葉づかいに古語が混じっているというか、その雰囲気が中さんにも合ってるけど、直太朗にも非常に合う。

このふたりは系統としてはかなり近いんだろうに、すごいシンプルにアレンジしたなーと感心。

5、若者たち

1曲目からここまでの流れで確信する、あぁ、このアルバムは王道をゆくんだなと。

同名のドラマ主題歌、になったことだけは知っていた。当時聴いてはいなかったけれど。直太朗が歌っちゃうと、どうにも直太朗になってしまうのが面白い。

6、風花

私がこれまでに聴き込んだ直太朗の曲に順位をつけるなら、アルバイト中に繰り返し聴いた『夏の終わり』が一位、テレビや街なかの至るところで耳にした『さくら(独唱)』が二位、そして三位が唯一、自主的に聴き込んだ『風花』である。同率三位でテレビドラマで使われた『生きとし生ける物へ』、持っていたアルバムで好きだった『風唄』と並ぶだろうか。

コーラスが印象的なイントロ・アウトロ、軽やかながらサビの盛り上がりへ向かっていくAメロ、サビ直前のユニゾン、そしてサビでこれでもかと聴かせるファルセット。

サビの2まわし目で階段のように下がっていくコード進行(※名称があるだろうけどわかりません)がたまらない。そしてサビ終わりでちょっと言葉がはみ出て、そこにコーラスが重なる感じがまた、いいのだ(マニアックすぎるだろうか)。

さらにすばらしいのはDメロである。メロディをはみ出す自由さが、直太朗なら違和感なく聴けてしまう。「冷えた手で手繰り寄せた〜」から「もおぉ〜おぉぉ〜おぉぉ〜色あせた〜」の流れ、一緒に歌うとめちゃめちゃ気持ちいいから試してみてほしい。笑

風花は雪が風に舞うさまのことなので、これは冬の唄なんだなぁ。すごくふわふわとした世界観で、妖精のような雪女のような(!)ひどく現実感のない「君」の存在が浮かび上がってくる。もしくは風、もしくは風花そのものが君なのかもしれない………とか言って。

7、愛し君へ

某つるのさんのカバーで有名になった曲だが、もともと同名のテレビドラマ「愛し君へ」の挿入歌だった。菅野美穂と藤木直人主演で、原作はさだまさしの小説「解夏」である。これがドラマの雰囲気にぴったりだった。

大サビでためてためてこれでもかってぐらいためて、「……いいから」で終わるところが好き。構成も歌詞もシンプル極まりないだけに、直太朗が歌って映える一曲である。

8、フォークは僕に優しく語りかけてくる友達

さだまさしかな?(出た)

こういう曲調も直太朗にあるんだ!という新発見の曲。歌詞の世界観はすごくおとぎ話っぽいのに、「君がハモってくれたなら」が出て来ると妙に生々しさがある。「君」の存在は薄いようで濃いようで、本当にいるのかいないのか曖昧な感じがいい。

9、嗚呼

アルバムを聴くより先に、おっちゃんが「サビで”あぁ”しか言わない曲があるんだよ!」と聴かせてきた。

普遍的な世界観で始まり、サビの盛り上がりで畳み掛ける「あぁ」。2文字に込められた想いと、2文字に浮かび上がるさまざまな感情が心を揺さぶる名曲。

静かに始まり、どんどんどんどん音数が増えて、厚くなって、大きくなって、膨らんで爆ぜるようにバチッと終わる。

「どうして」という問いから始まり、もはや言葉なんてあってもなくても同じだというような圧倒。

最新アルバムから入った曲で、ベスト盤といえど未来へ向かっていく香りを出したかった、とのこと。

10、小さな恋の夕間暮れ

ちょっと聞き覚えのあるようなバラードで、地味だけど凝ってるなと思ったらシングル曲だった。

おっちゃんはこの系統が好き。(他にはコンビニの趙さんとか)

11、太陽

ライブ映えする曲で本人も助けられたという1曲。弘前ヒロロの無料ライブでも思ったけど、確かにライブでこの曲があるとないとではけっこう印象が変わる気がする。

日常の何気ない羅列の中に強い意志が感じられ、歌詞中で「太陽」とは言っていないのになるほど、と思う。

12、さくら(独唱)

もはやリハーサルでも歌わなくなったそう。独唱スタイルでこれをシングル化したうえ、カップリングに合唱バージョン、伴奏バージョンが入っているという形式でよく出せたな…。それだけ、直太朗の歌の力にまわりも期待していたんだろうな。

13、日々

直太朗の歌詞には、少年時代の景色を彷彿とさせるものが多い気がする。言うなれば御徒町さんの景色でもあるのだろうが。さらに言うならふたりともがまだその時代を持ちあわせたままなのかもしれないし、誰もがそうなのかもしれないし。ぐるぐる。

14、生きとし生ける物へ

先述のテレビドラマ「愛し君へ」の主題歌だったのがこの曲。ひたすら同じメロディのAメロを4回繰り返し、短いBメロから一気にサビで盛り上がるという不思議な構成。生きとし生けるすべてのものの前で、ちっぽけな自分という存在はもはや人間ではないと歌う。古語が多用されていて、「生きとし生けるもの」は古今和歌集の和歌が出典元だそう。

わたしが当初不思議だったのは「者」じゃなくて「物」なんだなぁという点で、テーマが森羅万象ということでそれもうなずける話。

15、虹(2016ver)

曲を聴く前に解説を読んで衝撃だった。

当時、御徒町さんが参加した演劇のワークショップで、自殺問題をテーマとして「虹」という戯曲を書いたのだそう。その世界では「人が死ぬと虹がかかる」と言われていて、虹はこの世とあの世をつなぐモチーフであり幸せの象徴。この世は喜びと悲しみのバランスをとって存在している…。

その舞台の発表直前。2人の共通の友人が自殺して亡くなってしまった。

その後、NHKから合唱コンクールの課題曲の依頼がきて、テーマは「別れ」だという。そこで「虹」という曲が生まれた。

“僕らの出会いを誰かが別れと呼んだ 僕らの別れを誰かが出会いと呼んだ”

中学生にこの歌詞の意味を問われ、涙を流しながら「いつかわかるよ」としか言えなかったという。大人になったわたしには、聴くたび胸がぎゅっと苦しくなるようなことばだ。

合唱曲としてのアレンジがなされていて、たしかに長く歌い継がれてほしい曲だと思う。

大傑作選 土盤

※長くなりすぎたため、花盤より省略気味で書いていきます。

本人にとっても思い出深い一曲『レスター』から始まる土盤。舞台「森の人」から音源化されていなかった『さなぎの時代』と続く。さなぎが眠る土の中のような、はたまた深海の奥底にいるかのような重苦しさが、淡々と歌う直太朗の声が重なることでさらに浮き立つ。サビのファルセットが美しく、好きな一曲。

「今が人生〜♪」というコーラスが印象的で、飛翔編というサブタイトルにもぴったりなリズム系の『今が人生〜飛翔編〜』。実際にコーラスから先にできた曲だそう。

シングルらしいキャッチーさのある『君は五番目の季節』。春が来て夏が来て秋が来て冬が来たら、君もやって来る。もう実際にはここにいない人だとしても、四季が巡るように思い出す存在ってすてきだなぁ。

レスタ〜♪と同じノリで替え歌にしがちな『シルビア』。なんか外国っぽい人物名多くないですか?笑

衝撃作『坂の途中の病院』。歌詞用に書かれた詩ではなく、御徒町さんの詩集にあった詩に直太朗が曲をつけたもので、いろんな概念を覆している作品。好きな言葉を当てはめて歌ってもいいんじゃないかとすら思う。あと、ライブセッションする本人たちが絶対楽しいだろうなー。

もともと本人のキャッチコピーだったという言葉を曲にした『夕暮れの代弁者』。こういう曲調なんていうのかな?ロカビリー?昭和っぽさもあって。タイトルからバラードを想像すると…全然違う。「歌う時代の革命児っ!」の言い方が好き。

『僕らは死んでゆくのだけれど』これも昭和っぽい。何ていうか、坂本九っぽい。

『優しさ』御徒町さんっぽい世界観。そして問題作『うんこ』。森山直太朗のカラオケでよく歌われる曲ベスト3に入るらしい。てことはけっこう有名なんだろうな。

1分半の曲で、歌詞はなんと4行である。壮大なオケに対し「お前はやっぱりうんこだな」で締められる落差たるや。

中身が中2のおっちゃん(34歳)は『うんこ』をいたく気に入ってしまい、意気揚々とカバーに励んでいる(そして旅館の客に聞かれて落ち込んでいる)。

そして個人的には土盤で一番好きかもしれない、『よく虫が死んでいる』。第一印象は「ジュリーみたい!」何せDVDのライブ映像では、ノリノリで踊った挙句「ヘアッ!!」と叫んでいた。この時点から彼のことがよくわからなくなってきた。

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“よく虫が死んでいる よく虫が死んでいる 私の部屋ではよく虫が死んでいる”

ただその悲哀を歌っているわけだが、悲しいかな口ずさんでしまう中毒性がある。ギターソロとかキレッキレなのがまた腹立たしい。『コンビニの趙さん』、ラジオで流すとコミックソング扱いされる、というコメントには納得せざるを得ない。

コンビニほど、さまざまな人種が行き交う場所ってないんじゃないだろうか?大抵の飲食店は年齢層がある程度定まってたりする。まぁファミレスとかファストフード店もほぼ一緒かもしれないけど…

コンビニは、レジにいると全体が見渡せてしまう。入ってきてから出てゆくまでの行動のすべてに、人となりって滲み出る。とわたしは働いていた当時思ってたものでした。

『魂、それはあいつからの贈り物』こういう曲調もありなのねーと思わせる、サカナクションみたいなピコピコアレンジに、ユニゾンで始まる歌、「〜って何だっけ?」とトボける歌詞。

あまり季節モノがない中で(といってもさくらという1曲があるだけで存在感が大きい気がするが)、珍しい季節ソング『12月(2016ver)』「僕はまだ君に愛をしている」は照れなのか?ふつうに言うよりも引っかかりを生む言葉ではある。

DVD スタジオセッション〜直太朗的録音箱集友楽〜

スタジオセッションを集めた映像ってのは初めて見たかもしれない。ライブ盤とは違った味わいがある。全員を順番にぐるーっと映していくカメラワークとか。楽器の持ち替えやコードを押さえている手の細部まで見えるのだ。

『夏の終わり』のコーラスの人は直太朗と声が近いなぁ…異国情緒溢れる『ラクダのラッパ』、メロディーだけなら普通なのに、アレンジで急に東南アジアの風が吹く。

『どうしてそのシャツ選んだの』これもサビで同じことを繰り返すパターンの曲。ついつい踊りたくなるようなおかしみのある曲調である。『明けない夜はないってことを明けない夜に考えていた』こういう曲が本人は好きなんだろなーと思う。ちょっと清志郎っぽい。

おっちゃんと2人でビビビッと来た曲『涙』。何でこれがCDに入ってないんだ!!と大騒ぎするわたしたち。何もかも好み。そして『どこもかしこも駐車場』『未来〜風の強い午後に生まれたソネット〜』『声』と続く。

■インタビュー「森山直太朗ってなんだろう」

直太朗と御徒町さんのインタビューが交互に見られる。ライブのときの印象と同じで、すごく言葉を選びながら話す人なんだなぁと思う。話し声は鼻にかかっている割に通っていて聞き取りやすい。ラップ調の歌でもすごく聞き取りやすくて不思議だな〜と思ってたが、言葉そのものを大切に扱う人だからなのかもなぁ、と感じた。

ふたりが路上で歌っていた頃も垣間見れたり、裏話的なところも多くて楽しめた。あとやっぱり直太朗が若すぎる。

直太朗ってどんな人なのか

恐らく一般的な感覚と同じように「森山良子の息子で、さくらを歌ってた人」程度の知識に毛が生えたぐらいの存在でしかなかった森山直太朗。生ライブの歌声に圧倒され、色とりどりの曲に感嘆し、独特の世界観に首を傾げ、15年来の親友だという綾小路翔と「2人きりの合同誕生パーティーをひらく」という関係性にまた彼がよくわからなくなる。(なんで2人なのにパーティー)

(影別苦須…………エイベックスー!)

さらに直太朗のお姉さんがお笑い芸人おぎやはぎの小木と結婚していることで、かなり2人の絡みは多いらしく…でもきっとこういうの、嫌いじゃないんだよね直太朗も。だって公式サイト行ったらこれだからね。

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・・・・・・。

そしておっちゃんがおぎと直太朗のエピソードを毎日のように聞かせてくるので、直太朗の音楽以上に直太朗自身(と、おぎ)に詳しくなっている気がする。

直太朗はフォークの人だった

このブログを書き進められないでいるうちに、大傑作選を通り越して『嗚呼』『黄金の心』あたりのアルバムをざっくり聴いた。そしてどれもこれも良すぎて困っている。

井上陽水パロディながら名曲の『傘がある』、一度きいたら頭を離れない『電車から見たマンションのベランダに干してあったピンク色のシャツ』、『とは』『アンジョリーナ』『QUE SERA SERA』『そのままの殿でいて』………あぁ、どれもこれも好きすぎる。

ときどきハンバートハンバートかな?って曲もあったりして、さだまさしにしろ陽水にしろハンバートにしろ、とにかく直太朗は「フォーク」の人なのだな、と納得した。そして、わたしの中に色濃く流れているのもまた、生粋のフォーク好きの血なのだろうと。

声の力、シンプルなギター、そしてメロディ、歌詞。ああ、ただそれだけだ、つまりフォークとは。そう思った出会いだった。

そんな奥深い魅力のある直太朗について語り尽くして終わりにしたい。自分でも読み返す気力が尽きた…。

書いているのはこんな人。

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